体罰は要らない。必要なのは筋肉だ。

https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/738962

このニュースを見て改めて体罰について考えてみた。そこに纏わる話はいつも生徒の人間的成長に関するものではなかろうか。

 

はじめに言っておくが私は教育に体罰は必要ないと考えている。しかし、私はかつて体罰は生徒の人間的成長の為にあってもいいものだと思っていた。高校時代、スポーツ強豪校に在籍した私はそこでラグビーをするために、体罰を覚悟して高校を選んだ。大阪の下町で育ち「昔は竹刀を持った先生がウンタラカンタラ」と親に言われ、体罰なんて当たり前だと感じていたからだ。末っ子なので(?)親から受けた体罰の記憶はないが、それこそ愛の鞭とは熱血教師が生徒と向き合うために必要な手段とまで思っていた。暴力は良くないが、若い生徒の過ちをきちんと正してあげる上での体罰をかつての私は許容していたのだ。

 

しかし、その高校での衝撃的な出会いが、私の体罰観をまるっきり変えていった。ラグビーの強豪校とは放送当時社会現象にまでなったドラマ「スクールウォーズ」を想像していただければ話が早い。知らない人のために軽く説明すると、ザブングル加藤の「悔しいです」の元になった名シーンがある。

"お前ら悔しくないのか!

悔しいです!

(色々あって…)

今からお前達を殴る!"

といった今の放送コードから見たら目が点になるような体罰が賞賛される世の中がかつての日本には存在したのだ。そこに登場する生徒はやんちゃくれの荒くれ者、売り言葉に買い言葉、何かあったらすぐ力で解決しようとする、血気盛んな子が多い。そして、それは未だに高校ラグビー界にも少なからず残っている。私が在籍したラグビー部にも毎年数多くの荒くれ者が入部してきた。

しかし、当ラグビー部の監督は三年間でそんな新入生達を人として成長させていった。三年間を通じて、そんな荒くれ者が他人のことを思いやり、一生懸命目標に向かって努力できる人間に育っていく。そして、彼の指導には体罰など存在しなかったのだ。

 

彼はとにかく熱意のある先生だ。また、ラグビー理論は日本でもトップレベル、それは全国高等学校ラグビーフットボール大会の結果が証明している。日本代表に卒業生が複数人在籍し、大学に進学した生徒はチームの主要選手になっていく場合が多い。彼の指導は高校時代の結果と選手の将来性をも両立させているのだ。

ただ私が彼を尊敬する理由はそれだけではない。部活動とは「教育的指導の一環である」という信念のもと、生徒と心から向き合い、生徒の人間的成長こそが部活動の目的なのだと、時には口で時には背中で語ってくれた。必要さえあれば手話で語り出したかも知れない。

彼は一流のコーチであり、そして一流の教育者なのだと改めて感じる。それら全てが彼を尊敬する理由なのだ。

 

在学中に彼が口にした言葉を今でも思い出す。昔喧嘩ばかりしていた生徒が練習中に文字通り暴れまくった時のことだ。昼下がりのラグビー場には確かに彼の怒声が鳴り響いたのだが、結果としてその生徒は練習の見学に回されただけであった。そして、練習後のミーティングの時に彼から放たれた言葉が今も私の脳裏に焼き付いている。

 

「私の教育に体罰は必要ない。もちろん体罰が生徒を更生する場合があることも分かるし、未だに日本の教育現場に体罰があるということも理解している。しかし、体罰以外の手段で生徒が変わるならそれに越したことはない。それで生徒が変わらなければ私の教育者としての力不足ということだ。」と彼は確かに言い切ったのだ。

 

それから私は教育に体罰は必要ないと考えるようになった。教育者として理想的な考えを実行し続ける生きる伝説に心の底から共感した。しかし、これを実行して生徒を成長させることが出来る教育者が今の日本の教育現場にはどれほどいるのか、とも考えるようになった。肌感覚ではあるが、今そのような教育者が少ないということは確信を持って言える。要するに、これは能力がある人の意見なのではないのかと感じるのだ。

彼が様々な経験や試行錯誤からその指導法や指導論を導き出したことは手放しで賞賛できる。しかし、現実問題として荒くれ者と体罰を抜きにして心から向き合うのはなかなか難しいことではないか。部活動の顧問ではなく、また生徒に舐められがちな教育者であった時、この方法は果たして実行に移せるのだろうか。

 

私は教育者ではないが、この機会に教育現場へ一つのアイデアを提示したいと思う。自分の指導に自信が持てない教育者には是非とも筋トレ、そして格闘技を学んでいただきたいというものである。これは力を力で制する為ではなく、生徒と心から向き合うために必要なことだと感じたからだ。誰が相手でも物怖じせず思ったことを話す為に、教育者にも身体的自信があった方が良いのではないか。力で勝てない相手に対して、「相手のことを思いやった上で正直に思ったことを言う」のはなかなか難しいはずである。生徒のことを思いやり、そして心から向き合えなければ相手は子供であってもそれに気づくはずだ。大人に対する不信感が生徒を時に暴れさせるのではなかろうか。

 

教育に体罰は全く必要ない。ただ「力を使う」のではなく、「力をつける」というのが一つの教育的アプローチになるのではないか。筋トレをして格闘技を学ぶというのはあくまでも一つの提案でしかない。だが、その結果生徒と向き合える教育者が増えたなら、日本の学校教育はより良いものになるはずだ。学力向上だけが教育ではないのである。生徒の人間的成長もまた一つの教育なのであろう。また、この話は必ずしも教育者だけへのものではない。みんなが身の回りの人に対して思いやり、心から相手と向き合うことで少しずつこの世の中が変わっていくのではないか。互いに認め合い、相手の話に耳を傾けることこそ、今の我々に求められることなのではなかろうか。筋トレと格闘技とはそのための一つの選択肢なのだ。

 

〜最後に〜

筋肉を鍛える時にはまずしっかり栄養を摂ることから始めましょう。トレーニングをする上で忘れがちになりますが、フォーム、そして筋肉の可動域を意識したトレーニングが有効です。間違ったトレーニングは怪我をする恐れがあるのでご注意ください。トレーニングに関する知識に自信がない方はトレーナーの指導のもとしっかりと安全に配慮した上でトレーニングしてください。また、格闘技の方はなんでもいいと思います。あなたが楽しめそうなものを選ぶのが良いのではないでしょうか。